正信偈に登場する七高僧の龍樹菩薩はどんな人なのか

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龍樹菩薩について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、仏教界に空の思想を広めた偉大な方です。

龍樹菩薩って名前だけでも、すごい強そうだよね
強くはないけれど、仏教界では八宗の祖とも言われ絶大なる影響力を持つよ
今で言うなら仏教界のカリスマね

龍樹菩薩について

正信偈の中で「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」と述べられています。ここに龍樹菩薩の名前が登場し、その功績を讃嘆されています。

出生年代やその生涯は詳しく分かっていませんが、大体150年〜250年の頃に活躍したというのが定説となっています。

主著に『中論』というお書物がありますが、チベットの伝承では『空七十論』、『廻諍論』、『広破論』、中国では『十二門論』、『大智度論』、『十住毘婆沙論』というお書物を書かれました。しかし、真偽不明のものも多く定かではありません。

龍樹は、南インドのバラモンの家に生まれました。

バラモンとは、当時のインドのカースト制度の頂点に位置する司祭階級の総称です。

バラモンの教養以外にも、当時のあらゆる学問を身につけ名高い存在でした。

龍樹菩薩の転機

龍樹菩薩は、あらゆるものを極めてまた遊び尽くしていました。遊び尽くした龍樹は、他に何か欲望を埋める手立てはないかと考えていた所、ある時、3人の友人をつれて王宮に忍び込んで宮中の女性を誘惑します。しかし、何度も足を運ぶうちに、その悪事も知られていきます。しかし、犯人が分からなかった王や家臣たちは、頭を悩ませます。

龍樹菩薩とその友人3人は、隠身の術を身につけていたので、姿が分からなかったというのです。

しかし、そんな龍樹一行もいつも都合よくはいきません。その日は、王や家臣たちの策略で宮中の床に細かい砂が撒かれます。

そんな事をしらない龍樹たちは夜中に忍び込むのですが、歩けば足跡がつきます。その結果、隠れていた家来たちによって3人の友人は殺されてしまいます。龍樹は王の直ぐ側で身を潜めていたことによって、あやうく一命をとりとめます。

この出来事によって、欲望にふけることで、さらに苦しみを招くことに気づき、悟りを求めて出家することを決意されます。

龍樹菩薩の教え

出家をして悟りを求める中で、菩薩と言われるまでになります。そこで気づかれたことが正信偈の中には「悉能摧破有無見 宣説大乗無上法」(ことごとく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し)と記されています。

有無の見とは、「有の見」と「無の見」という2つの誤った見方です。

「有の見」とは、人は死後、魂となって存在するという考え方です。地獄に行くか極楽にいくのか分からないのに、まるで暗闇をさまようことが心配で、不安を抱えているという見方です。

「無の見」とは、人は死んだら灰になって終わりという考え方です。これは現代の人に特に多い考え方ですが、2000年前の龍樹菩薩は、この考えを否定しています。この世のすべてが死んで終わりであるならば、世界は無に帰することになります。つまり我々は、絶対の暗黒、絶対の孤独の中に死んで行かなければなりません。これもやはり恐怖でしかありません。

それらの「有無の見」を打ち破ったのが龍樹菩薩だったのです。人の迷いとは、この凝り固まった概念によって苦しめられるのであって、自らの考え方によって自分で苦しみを招いているというのです。

それらの有無の見方にとらわれず、真実のものの見方が重要であると説き示されました。

今、私がここに存在しているのは無数の因と縁によって存在しているように、私たちが死後の存在する在り方も、阿弥陀如来の救済によって初めて苦しみ悩みから解放されるのであると教えられました。「有の見」でも「無の見」でもなく、どちらでもない「中道」という思想です。

龍樹菩薩
有無の見について

現代語訳 釈尊は楞伽山で大衆に、南インドに龍樹菩薩が現れて有無の邪見をすべて打ち破り。 この度は、正信偈「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」について意味を分かりやすく解説 ...

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龍樹菩薩の功績

特に親鸞聖人が龍樹菩薩を褒め称えられた理由に、菩薩の立場でありながら易行道を勧められたからです。

そもそも菩薩といわれるのは、大変厳しい修行をされて次に仏になることが出来る方のことです。また人々を導き、仏道を成就させるはたらきをする行者のことです。そんな高い位にある菩薩様が、自力の力で進む難行の道を勧められたのではなく、苦しみ悩む凡夫もみな易行の道という「阿弥陀仏」にお任せする他力の道を勧められました。

浄土真宗以外のお寺の山門に「不許葷酒入山門」という文字が書かれてあることを見たことがあるでしょうか。

座禅などの修行をするのに、精の強いニンニクやニラなど匂いのきついものや、お酒などの心を落ち着かせる邪魔になるものなどは、山門に入ることを許さないという意味です。これも修行の妨げになるものを避けて修行をしていかなければなりません。

また、自分は修行をしているという慢心の心に陥ることも難行道では注意しなければいけません。修行することが目的となり、さとりを見失い、また迷い苦しんでしますのが難行道というのです。

もう一度いいますが、龍樹菩薩は「菩薩」の位で次に仏になることが出来る高い位にいらっしゃる方です。

龍樹菩薩ご自身も厳しい修行をされてきた方ですが、その龍樹菩薩が勧められたのは易行道という、菩薩様も苦しみ悩む私たち凡夫も阿弥陀仏の救済によって救われる道を勧められたのです。

普通、菩薩の位ほど高い人ならば、自分のことを考えると凡夫のようなレベルの低い人間に水準を合わせませんよね。けれども、龍樹菩薩は菩薩の位に慢心することなく、すべてのものが救われる易行道を勧められたのが大きな功績といえます。

親鸞聖人が龍樹菩薩を七高僧に選定した理由

七祖の選定した理由に、

ポイント

①阿弥陀仏の本願に生きられた人
②書物を残して阿弥陀仏の教えを広めた人
③阿弥陀仏の本願について、真意を明らかにされ解釈した人

という点から考えると、龍樹菩薩は「難易二道」の教判を示されたことが挙げられます。これは『十住毘婆沙論』の「易行品」に説かれます。

易行品

仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。

と説かれてあります。ここでいう難行とは、厳しい修行というようりも、自力の修行をさします。自らの力や努力によって、悟りを得ようとする方法です。そうではなく、易行という阿弥陀仏に抱き取られていく、まるで船に乗せられて目的地に到着する他力を勧められました。

ですので、親鸞聖人が七高僧の龍樹菩薩の選定理由として

①菩薩の位でありながら、阿弥陀仏の往生を願った
②『十住毘婆沙論』を記し、阿弥陀仏の教えを広めた
③難易二道を明らかにし、易行道を勧められた

龍樹菩薩
釈迦如来楞伽山〜悉能摧破有無見について

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