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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【速入寂静無為楽 必以信心為能入】全文現代語訳

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現代語訳

速やかにさとりの世界に入るには、ただ本願を信じる他にはない。

この度は、正信偈「速入寂静無為楽 必以信心為能入」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

寂静無為の楽・・・寂静も無為も涅槃と同じ意味です。寂静とは煩悩が滅せられた静かな世界のことで、無為とは凡夫のはからいのはなれた世界のことです。

能入・・・入ることが出来る因

信心って難しいよね。頑張って信じようとすればするほど、心の中で疑い心が出てきちゃうんだもん
私もそうだよ。けれども、そんなこと阿弥陀様はお見通しだから、安心して自力を捨てて、阿弥陀様にお任せしたらいいよ
嫌なことも全部、阿弥陀様にお任せできればいいのにな

正信偈の原文

速入寂静無為楽
そくにゅうじゃくじょうむいらく
必以信心為能入
ひっちしんじんいのうにゅう

正信偈の書き下し文と現代語訳

すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといえり。

速やかにさとりの世界に入るには、ただ本願を信じる他にはない。

正信偈の分かりやすい解説

寂静と無為と涅槃の関係とは

この度は、七高僧の第7番目の法然聖人について説明します。

前回の2句は、「還来生死輪転家 決以疑情為所止」(生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす)という言葉で、迷いの世界に輪廻することは、阿弥陀様の救済を疑うからであるという意味でした。

それでは、どうすれば生死(迷い)に流転する苦しみ悩みから開放されて、安らかな世界に到ることができるのでしょうか。その答えが今回の2句に明らかにされています。正信偈の中で「速入寂静無為楽 必以信心為能入」(速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす)と記されています。

安らかな世界(浄土)には、疑いのない信心によって必ず速やかに入ることができると法然聖人は親鸞聖人に教え説かれました。

この「寂静」も「無為」も「涅槃」と同じ意味の言葉です。「涅槃」とは、昔のインドの言葉でサンスクリット語「ニルヴァーナ」という言葉の発音を漢字にしたものです。苦しみ悩む原因は、自我へのこだわりや尽きることのない欲望など、さまざまな煩悩が原因です。その煩悩から離れ、煩悩に振り回されない静寂な境地を「涅槃」というのです。このため「涅槃」=「寂静」と同じ意味です。また、煩悩を離れた「涅槃」の境地は、凡夫が日ごろ為(行動)していること、また為し得ること(成果)をはるかに越えた世界だから、「無為」と訳されます。

「寂静無為の楽」とは、自我へのこだわりなどを離れた、「寂静」であり「無為」である「涅槃」こそが、本当の安楽(安らかな世界)であると示されているのです。

親鸞聖人は正信偈の中で「寂静無為の楽(らく)」を「寂静無為の楽(みやこ)」と読んでおられます。法然聖人が著書『選択本願念仏集』の中で「涅槃の城には信を以て能入と為す」と記されていおり、法然聖人の「涅槃の城」という言葉に対して、親鸞聖人は「寂静無為の楽(みやこ)」つまり「涅槃の楽(みやこ)」と読まれています。

日本
法然聖人とは、どんな人なのか

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疑情と信心の関係

前回は「疑情をもって所止とす」とあるのに対して、この度は「信心をもって能入とす」と記されています。この2句は対照となっていて、「疑情」(疑い)の反対が「信心」です。阿弥陀様の救済を疑い、自我のはからいのために、真実を疑う心が生じます。反対に、阿弥陀様の救済に疑いの心がないことが信心です。

また、「所止」と「能入」が対照になっています。「所」は受身を表す言葉で、「所止」とは、「止めさせられる」という意味です。「能」は能動を表す言葉で、「能入」とは、「入って行くことができる」という意味です。

「疑いの心によって、迷いの苦しみ悩みの世界を繰り返す私に輪廻を止めさせられる。信心によって、すみやかに安楽の世界(浄土)に入ることができる」という4句にまとめられています。

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