現代語訳
源信和尚は、釈尊の説かれた教えを広く学ばれて、ひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになった。
この度は、正信偈「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」について意味を分かりやすく解説します。
語句説明
源信・・・七高僧の第6番目、現在の奈良県の生まれ。叡山の中興の祖である良源の門下に入った。恵心院に住したので、恵心僧都とも呼ばれる。43歳の時に『往生要集』を記す。
安養・・・阿弥陀仏の極楽浄土のこと。
正信偈の原文
源信広開一代教
げんしんこうかいいちだいきょう
偏帰安養勧一切
へんきあんにょうかんいっさい
正信偈の書き下し文と現代語訳
【書き下し】源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む
【現代語訳】源信和尚は、釈尊の説かれた教えを広く学ばれて、ひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになった。
正信偈の分かりやすい解説
源信僧都について
仏教はお釈迦様が説かれた教えが、インド、中国そして日本に伝わってきました。前回までにインド、中国の高僧の説明が終わりましたので、今回から日本の源信・源空というお二人について述べられています。
6人目の高僧は、源信僧都という方です。源信僧都(942~1017)は、比叡山の恵心院におられましたので、恵心僧都ともいいます。
今の奈良県に生まれ、13歳のときに出家し比叡山に登られ、そこで天台宗から諸宗の教義を深められました。そして、並はずれた学識によって、広く名前が知れ渡りました。
その功績が認められ、朝廷から「僧都」という僧侶の高い位が授けられようとしたのですが、これを受けられませんでした。しかし、人々はその名前にふさわしい人であるからこそ「僧都」と敬意をこめて、敬称をつかうようになりました。
源信僧都は、長い間、比叡山の恵心院に隠棲されて、仏教を究められました。しかし44歳の時、広く深く学ばれるなかで、末世の 凡夫にふさわしい教えは、念仏以外にはないことに気づかれ、浄土の教えに帰依されました。
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源信僧都とは、どんな人なのか
源信和尚について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、報化二土を明らかにし、天台宗の立場でありながら念仏を一番に勧められた方です。 源信の名前を知っていると、どうしても「後海」って聞こ ...
往生要集を残された理由
多くの著書を残されましたが、一番有名なのは『往生要集』という書物です。多くのお経の引用を集め、仏教全体の要とする所は、念仏往生の教えしかないことを明らかにされました。これが、日本の浄土教の源流となり、のちに法然に大きな影響を与えられました。
親鸞聖人は、源信僧都について「広く一代の教を開きて」(広開一代教)と正信偈に記されています。「広く一代の教えを開かれた」とは、お釈迦様がご生涯に説かれた教えの中で、その真髄は念仏往生であり、阿弥陀仏にお任せすることであると、広く世に広められたということです。
そして「ひとえに安養に帰して、一切を勧む」(偏帰安養勧一切)と言われ、源信僧都はお釈迦様の一代の教えを広く深く究められた上で、凡夫が仏になれる道は「安養世界」つまり阿弥陀仏の浄土に往生する念仏の教えに以外にはないというのです。だから安養界に帰依するということは、阿弥陀様に帰依することであり、それを勧められました。
源信僧都のご功績に由って、日本で『仏説無量寿経』に説かれている念仏往生の教えこそが、仏教全体の肝要の教えであり、我々の歩む道であると示されました。
正信偈の出拠
『往生要集』それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。ただし顕密の教法、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しとなさず。予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。このゆゑに、念仏の一門によりて、いささか経論の要文を集む。これを披きこれを修するに、覚りやすく行じやすし。
『高僧和讃』本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに
念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける
『往生要集』もし相好を観念するに堪へざることあらば、あるいは帰命の想により、あるいは引摂の想により、あるいは往生の想によりて、一心に称念すべし。
『往生要集』二には、『双巻経』(大経・下)の三輩の業、浅深ありといへども、しかも通じてみな「一向にもつぱら無量寿仏を念じたてまつれ」とのたまへり。三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」
『教行信証』しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。