現代語訳
源空聖人は深く仏の教えをきわめられ、善人も悪人もすべての凡夫を哀れんだ。
この度は、正信偈「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」について意味を分かりやすく解説します。
語句説明
本師・・・元はお釈迦様をあらわす。ここでは念仏の教えを通じてお釈迦様に連なる人として使われている。浄土真宗の祖師を指す。
源空聖人・・・法然聖人のこと。幼名を勢至丸と呼ばれ、15歳のときに比叡山に登られて得度される。18歳で受戒され「法然房源空」と名乗られた。叡山の黒谷で一切経を5回も読破された・80歳にで御往生される。
正信偈の原文
本師源空明仏教
ほんしげんくうみょうぶっきょう
憐愍善悪凡夫人
れんみんぜんまくぼんぶにん
正信偈の書き下し文と現代語訳
本師源空は、仏教にあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ
源空聖人は深く仏の教えをきわめられ、善人も悪人もすべての凡夫を哀れんだ。
正信偈の分かりやすい解説
法然聖人とは
「正信偈」の「依釈段」、七高僧の第7番目の法然聖人について説明します。法然聖人とは源空とも言われます。親鸞聖人の直接の師でした。
法然上人(1133~1212)は、美作国(今の岡山県)に、地方武士の子として生まれました。9歳のとき、抗争に巻き込まれ、夜討ちに遭われて父親を亡くします。その命終に幼い法然上人のこのような言葉を残されました。
ポイント
仇を恨んではならない。出家して、敵も味方も、ともに救われる道を求めよ
この父親の言葉によって法然上人は、13歳のときに比叡山に上られ、15歳で出家されました。
はじめ「源光」という僧侶の弟子となられ、18歳のとき、叡空という僧侶のもとで天台宗の教えを学ばれました。叡空は、法然聖人の非凡な才能を認め、「法然房」という房号を与えられ、また最初の師の「源光」と自分の名の「叡空」とから、「源空」という名を与えられました。
比叡山で学ばれる中で、まれに見る逸材として比叡山の誰からも注目を置かれ、比叡山ばかりではなく、南都(奈良)の法相宗をはじめ、諸宗の宗義の研鑽にも努められました。これらの修養によって、法然聖人は仏教の教義の最も深いところを究められます。このことを、親鸞聖人は「正信偈」に「明仏教」(仏教に明らかにして)と記されています。当時の仏教の教義に精通しておられたということです。
法然聖人は比叡山で仏教の教義を深める中で、どうずれば苦しみ悩みから離れることができるのか、その道を探し求められました。しかし、どれほど教義を深めようとも、比叡山の伝統の教えの中に法然聖人は満たされることがありませんでした。
そこで膨大な量のお経を読み返して、仏の教えに答えを求められました。中国から日本に渡ってきた多くのお経と、それらのお経に対する注釈書を読みあさられました。そのことを親鸞聖人は正信偈の中で「本師源空明仏教」(本師・源空は、仏教に明らかにして)と記されています。お釈迦様の教えであるお経によって仏教を明らかにされたということです。
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法然聖人とは、どんな人なのか
法然聖人(源空上人)について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、数多くある修行の中から念仏が最も重要で、阿弥陀様の救済の証であることを示し、当時は貴族や国家のためだけの仏教から、町の ...
出会い:一心専念弥陀名号とは
中でも法然聖人43歳の時、善導大師の『観経疏』の「一心に弥陀の名号を専念して」というお言葉に遇われました。
これまで天台で学んできた「念仏でもよい」という自力聖道門の教えではなく、「ただ念仏しかない」という教えの転換点となりました。『観経疏』には「ただ念仏」によってのみ救われるということは、それが「かの仏願に順ずるがゆえに」と説かれ、阿弥陀仏のすべての人を必ず救うと願われた願いに順ずる(叶う)ゆえに、法然聖人は天台の教えではなく、阿弥陀仏に任せることを選ばれました。
法然聖人は比叡山を下りられ、京都の吉水において貧富・貴賎を問わず、たくさんの人びと仏教を教え広められました。当時は貴族のためだけの仏教から在家民衆の仏教へと変わっていきました。生業のために修行ができない人々に、「専修念仏」(専ら念仏を修めること)の教えを伝えられました。この法然聖人に出遇い、その教えを受け取られたのが親鸞聖人でした。
念仏弾圧される
専修念仏の教えが広まる中で、権威を失うことを恐れた比叡山や奈良の伝統仏教から弾圧が強まりました。朝廷をも巻き込んで念仏停止の命令がくだされ、法然聖人の弟子の4人は死罪に処せられ、法然聖人は四国の土佐(高知県)に、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪となりました。
4年の後に赦免されて京都にもどられましたが、ほどなく、念仏のうちに80年のご生涯を閉じられました。
善悪の凡夫
「正信偈」に「憐愍善悪凡夫人」(善悪の凡夫人を憐愍せしむ)と記されています。「凡夫」とは、苦しみ悩む人のことです。憐愍とは、苦しみ悩む凡夫を哀れみ救いたいと思う心です。阿弥陀仏の本願は善悪にかかわらず、悩み苦しむすべての人々を憐れみ、そのすべてを救いたいと願われはたらいてくださっています。そして凡夫は、本願にお任せするしかないことを法然聖人は多くの人々に伝え広められました。
阿弥陀仏の本願の前では、悪の凡夫も、善の凡夫も、区別なくご覧になられているということです。悪凡夫は、自らの欲望に振り回され支配され、仏教の教えに背く生き方をしているのです。善凡夫は、一見すばらしく見えるようであっても、驕り高ぶりにより他人を卑下し、仏の教えさえも聞く耳を持たないもののことです。
善人も悪人も、やはり阿弥陀様のはたらきなしには苦しみ悩みから抜け出せない存在であるのが凡夫です。凡夫は、なにをしても凡夫には変わりありません。どこまでいっても苦しみ悩みは尽きない存在なのです。そのような凡夫だからこそ、摂め取って捨てることがない阿弥陀仏の本願が差し向けられているのです。
法然聖人は、学識豊かでとても有名な方でした。遠くは奈良までも名前が広まるような方であっても、私たちの凡夫性を見抜き、共に同じ念仏の道を歩むことを喜ばれたお方でした。
親鸞聖人は「正信偈」に法然聖人との事をしるし、このみ教えを喜ばれました。
正信偈の出拠
『観経疏』一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。
『選択集』それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。
『教行信証』あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。