新しいお寺のかたち

正信偈の解説と現代語訳

正信偈に登場する七高僧の善導大師はどんな人なのか

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善導大師について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、お経の解釈について同時代の僧侶の解釈の誤りを指摘し阿弥陀様のお心を広められた方です。

お経では、ここから雰囲気が変わるよね
七高僧の中でも特に大切にされている方だから、雰囲気を変えてゆっくり読むんだよ
初めて聞いた時には、ここでもう終わりかと思ったのに、まだまだ先は長いんだよね

善導大師について

正信偈の中で「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」と述べられています。ここに善導大師の名前が登場し、その功績を讃嘆されています。

善導大師は613年、中国の山東省もしくは江蘇省で生まれ、69歳で御往生されました。主な著書は『観経疏』で、他にも『法事讃』、「観念法門』、『往生礼讃』、『般舟讃』がああります。

中国では、隋の時代以前に仏教弾圧が起こり一時仏教が衰退しましたが、隋から唐にかけて仏教が認められ各地であらたに広まる中で、各地で『観経』がさかんに講義されました。

善導大師が生まれる以前から始まった『観経』の講義ですが、中でも有名だったのが浄影(じょうよう)、吉蔵(きちぞう)などがいました。しかし、みな『観経』の解釈を自力の立場で判断し、自らのおこない・はからいによって浄土に参るのだという見方でした。

そのような時代の中で善導大師は出家されました。数年ほど、終南山において「聖道門」の自力の立場で『観経』の研究と実践を行いましたが、満足いくものではありませんでした。その後、聖道門の立場から離れて、諸国を旅して道を求められました。

善導大師の転機

そこで、山西省石壁の玄中寺で道綽禅師に出遇われました。

みなが『観経』を自力聖道門の立場で解釈される中で、道綽禅師だけは違いました。それは他力浄土門の立場で、苦しみ悩む凡夫が阿弥陀仏のはたらきによって往生を遂げるというものでした。この教えに感動し、善導大師は教えをを受け継ぎ、更にこの教えを広められました。

師の道綽禅師が御往生されるまでの7年間、玄中寺に留まり教えを受けられたといいます。どの時、善導大師は33歳、道綽禅師は御年84歳でした。

善導大師の教え

善導大師の教えを理解するには、主著の『観経疏』を中心としなければいけません。本書の中で

観経疏

いまこの『観経』の要義を出して、古今を楷定せんと欲す。

と記されています。これは同時代の諸氏方が、『観経』を自力聖道門の立場で解釈していることの誤りを指摘し、他力浄土門の立場で、阿弥陀仏のはたらきによって浄土に往生できることを説かれました。

「善導独明仏正意」と正信偈の中にあるように、ほかの皆が『観経』を自力のはからいによって解釈する中で、善導大師がただ一人、阿弥陀様のお心を明らかにされ、他力浄土門の教えを広められました。だからこそ、善導大師は中国浄土教の大成者であるとも言われます。

その解釈は以下の3つに分けられます。

ポイント

①『観経』の救いの対象は苦しみ悩む凡夫である
②『観経』の浄土は劣った世界ではなく、真実のさとりの世界である
③悪を作った下下品の凡夫も臨終のお念仏で往生が可能である

というものでした。仏教が解禁されて、出家したものが一斉に仏典を読み解く中、みなが修行や自力の立場で自らのはからい・行いを頼りとする中で、善導大師だけただ一人、修行を頼りとせず、自らのはからいを頼りとせず、他力の教えを広められました。

道綽禅師の功績

善導大師の功績は、『観経』の解釈を阿弥陀仏の本願を拠り処とされて解釈されたことにあります。

自力聖道門の諸師方は、『観経』の中に説かれる韋提希夫人や上品上生から下品下生と9つに格付けされたのは、徳が高い菩薩のような位のと、位の低い凡夫の往生について別々に考えられました。つまりメインとなるのは、徳が高い人々であって、おまけ程度に凡夫往生を説かれたと解釈しました。

しかし、善導大師は『観経』は凡夫のためのお経であって、聖者のためのお経ではないと主張しました。上品上生から9つに分けられるが、違いがあってもすべて凡夫であると示されました。阿弥陀仏の救済は聖者だけの救いではなく、阿弥陀仏の本願はすべての苦しみ悩む凡夫こそ、救いの目当てであると解釈されました。

次に、凡夫の往き生まれる浄土は、真実報土であって、他の世界と比較して程度の低い浄土ではないと示されました。聖道門の諸師方は、究極の仏の世界は凡夫の眼によっては決して見ることができないものだと考えました。自力の修行を積んで、悟りに近づけば見えるものであって、修行もない凡夫がみるものはすべて程度の低いものであって、究極の浄土(これを真実報土という)に向かわせるための仮の浄土であると示されました。

しかし、善導大師は究極の世界である真実報土は、すべてのものを救済する世界であるから、苦しみ悩む凡夫を対象とした世界です。苦しみ悩む人々が見ることができなくて、どうして真実報土、一切の人々を救済する阿弥陀仏というのだろうか。すべてのものを救う阿弥陀様だからこそ、凡夫に見える形となって表れ出た慈悲の仏であると示されました。

すべての苦しみ悩む人々を必ず救うという誓願のもと阿弥陀如来となられた仏様だからこそ、そのお姿は真実報土、私達にわかる姿となって表れ出た究極のものであると諸師の意見を一掃しました。

最後に、念仏は浄土に必ず往生するもので、厳しい修行に誘引させるための仮の手立てではないことを明らかにしました。聖道門の諸師方にとって念仏とは、怠け者に努力させるための方法の1つで、遠い先に仏になれるものであって、あたかもすぐに仏になるように説かれてあるのは、精進努力させるための方便(仮の手立て)だと解釈しました。例えば1円玉を集めると、やがて1000円、1万円になるように、無理ではないが命かる限りに可能かどうかは不確定であり、もっとも重要な方法が別にあると考えました。

しかし善導大師は、念仏は私達の行う修行の1つではなく、阿弥陀様が願いをおこし、それを南無阿弥陀仏という念仏の行として差し出されたものだと解釈されました。つまり、南無阿弥陀仏という念仏には往生するタネが、阿弥陀様によってすべて備えられてあるのだという明らかにされました。

聖道門の方にとって「念仏」とは程度の低いものが称えられる、仮のものであって、浄土には到底参ることはできないと考えたことに対して、善導大師は阿弥陀様がご準備された、凡夫が浄土に参ることができる尊い頂き物であると考えられました。

以上の3点が、善導大師の当時の聖道門の諸師の解釈との違いを明らかにされました。以前の七高僧である龍樹・天親・曇鸞・道綽の解釈までも否定したものではありません。当時の聖道門の諸師に対して、ただ一人阿弥陀様のお心を説き明かし、仏教を広められました。

親鸞聖人が善導大師を七高僧に選定した理由

七祖の選定した理由に、

ポイント

①阿弥陀仏の本願に生きられた人
②書物を残して阿弥陀仏の教えを広めた人
③阿弥陀仏の本願について、真意を明らかにされ解釈した人

という点から考えると、善導大師は『観経』の解釈を阿弥陀様の慈悲の心で解釈し広められました。

親鸞聖人の記された正信偈の中には「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」とあります。

ですので、親鸞聖人が七高僧の善導大師の選定理由として

①『観経』は凡夫のために説かれたお経であると明らかにし、阿弥陀仏の本願のお心で解釈され人生を送った
➁『観経疏』を著し、阿弥陀仏の教えを広められた。
③念仏は、阿弥陀仏のご準備された浄土に生まれることができる尊い行であり、その生まれる浄土の阿弥陀様がご用意された究極の世界であること明らかにした。

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