正信偈の意味【道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説】全文現代語訳

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現代語訳

出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。

この度は、正信偈「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」について意味を分かりやすく解説します。

ただ信じるべしってあるけど、信じるだけでいいの?
それをずっと正信偈には説かれていたんだよ
何かを加えたくなるのが私たち何だよね

正信偈の原文

道俗時衆共同心
どうぞくじしゅうぐどうしん
唯可信斯高僧説
ゆいかしんしこうそうせつ

正信偈の書き下し文と現代語訳

道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべし

出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。

正信偈の分かりやすい解説

道俗時衆共同心とは

いよいよ正信偈も最後の解説になりました。

前回は、「弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう」(弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪)という2句から七高僧の教えによって、苦しみ悩む私たちに教えを伝えてくださったということを解説しました。
親鸞聖人は、次に「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」(道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし)と記されて、正信偈をまとめられています。
「道俗」とは、「僧侶と僧侶でない人」です。僧侶にも僧侶以外の人にも、仏教のみ教えをお勧めされています。阿弥陀様の救済の目当ては、僧侶であろうと、僧侶でなかろうと違いはありません。阿弥陀様のはたらきは、すべての人びとであり、共に念仏をいただくすべての人びとが対象です。

「時衆」とは、「その時々の人びと」ということです。親鸞聖人の時代の人も、現代の私たちも含んでいるわけです。苦しみ悩む私たちが、時代により苦しみ悩みの種類は変わるけれども、そのすべての時の人々にも通じる救済であることを示しています。
「共同心」(共に同心に)とは、心を同じにするということで、阿弥陀様のの本願を聞き、信心を賜る心ということです。

唯可信斯高僧説とは

「ただこの高僧の説を信ずべし」とは、他の教えではなく、ただ七高僧の教えを信ずるべきであると記されています。この高僧がたは自らの考えを起し広めたのではなく、阿弥陀仏の本願の通りに生きられた方々だからこそ、七高僧の教えを信じることは、そのまま阿弥陀仏の本願を頼りとすることと違いないからです。

苦しみ悩み、迷っている事にすら気づいていない私たちを仏教に出会わせて、その私を必ず救ってくださる教えに出会えたのも、七高僧をはじめ、たくさんの方々が教えを伝え広めてくださったから、今の私たちがあります。

その私が気づくよりも前から、何とか私を救いたいと願いをかけてくださったのが阿弥陀様です。正信偈の中には2500年もの歴史が込められて、たくんの方が登場しますが、親鸞聖人が正信偈の中に込められた思いは、阿弥陀様に出会えて救いに間違いがないことの喜びを明らかにされたお言葉です。

最初に「帰命無碍光如来 南無不可思議光」と信仰を著し、そして最後には「唯可信斯高僧説」とこの高僧方の説を信じなさいと喜ばれ、そして信をすすめられています。

どうか正信偈を読む時には、これらのことを心にお含みおきしていただき、ご拝読していただければと思います。

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