正信偈の意味【往還回向由他力 正定之因唯信心】全文現代語訳

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現代語訳

往相も還相も他力の廻向であると示され、浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。

この度は、正信偈「往還回向由他力 正定之因唯信心」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

往還・・・往とは往相、還とは還相のこと。往相とは私たちが浄土に往生すること。還相とは浄土に往生したものが、迷いの世界に帰り来て人々を救済すること。

回向・・・阿弥陀仏が本願力によって、仏様の功徳を人々に振り向けること。

他力・・・仏力、阿弥陀仏の本願力のこと。阿弥陀仏が人々に往生の因と果を回向し、救済するはたらき

正定之因・・・往生が正しく定まった因

往還廻向・他力・信心。この3つは浄土真宗でも重要な言葉だね
そうだね。この3つの言葉を理解すると、浄土真宗を理解したと言えるね
だったら、このページだけ理解したらいっか

正信偈の原文

往還回向由他力
おうげんえこうゆたりき
正定之因唯信心
しょうじょうしいんゆいしんじん

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】往還の回向は他力による、正定の因はただ信心なり

【現代語訳】往相も還相も他力の廻向であると示され、浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。

正信偈の分かりやすい解説

正信偈「報土因果顕誓願 正定之因唯信心」について、意味を分かりやすく解説をしていきます。

往相還相について

曇鸞大師は天親菩薩の『浄土論』の注釈書である『浄土論註』という書物を記されました。その中で、報土である阿弥陀仏の浄土が建立されることになった原因も、すでに建立されたという結果も、さらに私たちが浄土に往生できる原因も、また私たちが間違いなく往生するという結果も、これらはすべて阿弥陀様の誓願によると、『浄土論註』に明らかにされています。

また、正信偈の中に「往還の回向は他力に由る」とあるように、「往相の回向」と「還相の回向」という、二種の回向について記されています。

苦しみ悩む私たちが浄土に往生することを「往相」(生浄土の状)といいます。そして浄土に往生した人が、迷いのこの世に仏となってかえってくることを「還相」(来穢国の状)といいます。すなわち、「往相」はこの世から浄土に往くことに対して、「還相」は浄土からこの世(穢土)に還るということです。

ポイント

往相とは、生浄土の状のことで、我々凡夫が浄土に往生すること。
還相とは、来穢国の状のことで、浄土に往生した人が、迷いのこの世に帰り来てはたらきかけること

中国
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自利利他について

「自利」(自ら利すること)によって、この世を離れて浄土に往き仏になるだけでは仏教とは言えません。仏になるという事は、「利他」(他を利すること)という自分と他人を利する両面が必要です。自分のことだけ考えるのではなく、他の人びとが浄土に往生できるよう、この世(穢土)の人びとへの救済する力がなければならないのです。つまり、自分が受け取る利益と、他の人が受け取る利益とが一つになること、それが仏教の根本の精神です。私が仏になるといこと(自分の利益)は、同時に他人も導く仏になる(他人の利益)ことが1つであり、別物ではないということです。

お釈迦様は、2500年前、厳しいご修行後に菩提樹の下で悟りを開き、仏になられました。しかしそれで終わりではなく、悟りの境地に安住されることなく、80年の生涯をかけて、迷い苦しんでいる人のところに行って、教えを説き、人びとを悟りに導こうとされました。ここに「自利利他」が一つになった仏教の根本が示されています。

お釈迦様のお姿から分かるように、仏とは「自利利他」が備わったものですから、「往相」と「還相」とが1つの事として理解できるかと思います。死後、お浄土に行ったきりでと私たちとは無関係にいるのではなく、仏になったら、私たちの所に帰り来て導く存在が仏様であるとお示しくださっています。

他力による

しかし、私たち凡夫にしてみれば、自分の力では「往相」も「還相」も不可能なことです。自分の力でお浄土に参ることはできないので「往相」は不可能です。ましてや、この世の迷い苦しんでいる人を導くなど、到底そんな力などありませんので「還相」も不可能です。

お正信偈の「往還の回向」とは、「往相」も「還相」も、ともに阿弥陀仏の「回向」によることです。「回向」というのは、「回し向ける」という意味で、浄土に行くことが出来ない私たちに代わって、阿弥陀仏が原因(私に代わって功徳)をつくり、その原因(功徳円満)によって生ずる結果を私たちに「回し向けて」くださっているのです。

曇鸞大師は、「往相回向」も「還相回向」も自力によるのではなくて、「他力に由る」(由他力)と教えておられます。

「他力」とは、本願力のことで、仏力のことです。阿弥陀仏の力なので、それは私たちが期待するとか、期待しないとか、そんな事は一切関係がありません。他力とは、阿弥陀様が一方的に私たち差し向けられている救済のことです。「本願力」ともいわれます。

なぜ期待するとか、期待しないとか一切関係ないのかというと、阿弥陀様は悩み苦しむ私たちを憐れみ、私に代わって願いを起され、功徳を積み、今すでに阿弥陀様となられました。すでに仏となられたということは、私たちが期待したから、願ったから救ってくれるという仏様ではないということです。この世を苦しみを苦しみとも知らず、願いもしない私たち凡夫を、すでに見抜いて私に「南無阿弥陀仏」とはたらきとなって、ここに届けられているのです。

本願力の回向に由って、私たちに「往相」と「還相」とが実現するということは、凡夫である私たちが、やがて浄土に往生して仏に成るということです。

信心について

そ曇鸞大師は、「正定の因はただ信心なり」(正定之因唯信心)と記されています。間違いなく浄土に往生して仏になることが決定するのは、ただ「信心」1つが必要であるとお示しくださいました。しかもその「信心」は、自力の信心(私が信じたから)ではなくて、阿弥陀仏の本願によって回向される、他力の信心です。

つまり、それは「阿弥陀仏におまかせする」心です。私の信心ではなく、阿弥陀様より賜るものなので「ご信心」といいます。

正信偈の出拠

『論註』「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。

『教行信証』それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。

『論註』他力の乗ずべきことを聞いて信心を生ずべし

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