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正信偈の解説と現代語訳

正信偈に登場する七高僧の曇鸞大師はどんな人なのか

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曇鸞大師について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、本願他力の回向を明らかにされた方です。

曇鸞大師って聞くと、どんな大師?って聞こえるけど
お坊さんの名前は変わっているからね。お坊さんの学校にはキラキラネームも多いんだよ
もっと分かりやすくて呼びやすい名前なら親しみ易いのにね

曇鸞大師について

正信偈の中で「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」と述べられています。ここに曇鸞大師の名前が登場し、その功績を讃嘆されています。

曇鸞大師は、476年に中国の山西省五台山に近い雁門 にお生まれになりました。日本に仏教が伝わったのが538年で、聖徳太子が生まれたのが574年なので、曇鸞大師が生まれたのは100年も前になります。その主著は『往生論註』(論註)であり、『讃阿弥陀仏偈』、『略論安楽浄土義』というお書物も残されています。

15歳で五台山で出家され、龍樹菩薩の著された『中論』『十二門論』『大智度論』、また弟子の書かれた『百論』を研究されました、

ある時、曇鸞大師は『大集経』の注釈書を作ろうと決心されます。『大集経』は現代にも伝わっていて60巻もある膨大なお経です。

注釈は順調に進んでいたのですが、あるときご病気になられます。何とか60巻の注釈を完成したいと思った曇鸞大師は、はるばる陶弘景という道教の第一人者のものを訪れて、不老長寿の術を教わりに行きます。そこで授けられたのが仙経十巻でした。

正信偈の中に「焚焼仙経帰楽邦」と書かれていますが、その部分です。

曇鸞大師の転機

仙経を手に入れた曇鸞大師は、さぞ喜んでいたことでしょう。

その帰り道、都の洛陽を訪れた時に、インドから帰ってきた菩提流支というお坊さんに出会われます。

そこで曇鸞大師は「仏教の教えの中に、不老長寿について説かれた教えはありますか?この中国の仙経に勝るものはありますか?」

と尋ねると、菩提流支は「たとえ長生きをしたとしても、いつかは命終えます。まだ迷いの世界を輪廻するのか」と言って、菩提流支は浄土経典を授け、「この教えによって修行するならば、この苦しみ悩む世界を超えて、悟りを得ることが出来るだろう」と教えられました。

学識深い曇鸞大師だったので、その浄土経典をご覧になるとその教えの素晴らしさに気づき、仙経十巻を焼き捨て、この教えに帰依されました。

「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」という中で、「仙経」という言葉が出てきますが、よく見るとその前には「焚焼」という言葉があります。これは「焼き捨てた」という意味であり、「仙経を焼き捨て、楽邦(浄土の教え)に帰依された」という事です。

曇鸞大師の教え

浄土の教えに帰依された曇鸞大師は、玄中寺など移り住まわれ、542年に御往生されたと言われています。それまでに、たくさんの教えを残されています。親鸞聖人の『高僧和讃』という書物の中にも最多の34首も残されて、曇鸞大師を讃嘆されています。中でも11首がそのご生涯について説かれたものです。

曇鸞大師の臨終には、近隣の村々からたくさんの人々があつまり、また弟子も多く、300人あまりの人々が駆けつけたといいます。その人々にお念仏称えられながら、しずかに御往生されたと記されています。

曇鸞大師の仏教に対する姿勢は、出家修行者のみならず、民衆と共に救われていく道をお説きくださいました。自分一人が救われていく道ではなく、共に浄土に参れる浄土の教えを喜び、その教えを一般の人々にも伝えられたことが、親鸞聖人の生き方にも大きく関係したことでしょう。

曇鸞大師は『往生論註』を残されますが、それは天親菩薩が著された『浄土論』の注釈書であり、苦しみ悩む我々が救われていく方法を説かれた注釈書でした。その要点は、阿弥陀仏の救済(回向)によって、五逆十悪の苦しみ悩む我々が、一心をいただき悟りをひらき仏になることを説かれました。それが本願他力の回向という曇鸞大師の教えの中心になりました。

曇鸞大師の功績

曇鸞大師の教えの特色に、他力回向があります。

人間の力によって悟りに向かう自力の難行道では悟りを開くのは難しく、他力つまり仏力によって悟りに向かう他力の易行道によって、私たちは救われていくと示されました。仏力とは、阿弥陀如来のはたらきのことです。それは念仏であり、それは私たちの自力の行ではなく、他力の易行であると示されます。

親鸞聖人は、主著『教行信証』の中で、「他力というは如来の本願力なり」とお示しです。自力では救われない私たちが、阿弥陀様のはたらきに身を任せることで救われるということです。

次に「回向」とは何でしょうか。回し向けるということですが、これは仏教全般で使われる言葉です。

例えばお経を故人に称えることも「回向」です。私がお経を称えた功徳を故人に「回し向けて」、故人をより良い世界に供養していこうと一般の仏教では考えます。しかし、先程申しましたように、浄土真宗では自力の行に「功績」(功徳)を認めません。

そこで曇鸞大師は、苦しみ悩む私たちが、浄土に往生することも、この世界に帰ってきて人々を導く仏の活動ができることも、すべては阿弥陀様の本願力によるものだと示されました。これを往相(浄土に行くこと)と還相(この世に帰ってくること)といい、往還回向はすべて(阿弥陀仏の)本願力によってできると示されました。それが正信偈の中に「往還回向由他力」と示されています。

親鸞聖人が曇鸞大師を七高僧に選定した理由

七祖の選定した理由に、

ポイント

①阿弥陀仏の本願に生きられた人
②書物を残して阿弥陀仏の教えを広めた人
③阿弥陀仏の本願について、真意を明らかにされ解釈した人

という点から考えると、曇鸞大師は阿弥陀仏の回向によって救われていくと示されました。

親鸞聖人の記された正信偈の中には「天親菩薩論註解」と「往還回向由他力」とあります。

ですので、親鸞聖人が七高僧の曇鸞大師の選定理由として

①阿弥陀仏の他力によって救われていくことを喜ばれた
➁『往生論註』を記され、阿弥陀仏の教えを広めた
③浄土に生まれ行くことも、この世に帰り来て人々を救済するのも阿弥陀仏の他力によると明らかにされた

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