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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽】全文現代語訳

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現代語訳

龍樹りゅうじゅ菩薩は、難行道なんぎょうどうは苦しい陸路りくろのようであると示し、易行道いぎょうどうは楽しい船旅のようであるとお勧めになる。

この度は、正信偈「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

難行陸路・・・自力の難行は、一般の人には困難な仏道修行であり、自分の足で歩く方法に譬えられる。

信楽しんぎょう・・・仏より与えられて知ること、仏より与えられた自分の心を信心という。同じく仏より与えられたよろこび心を信楽という。

レジャーは、登山派?船派?
船だよ。乗ってるだけで目的地に連れて行ってくれるからね
船の上でも遊ばなきゃもったいないよ

正信偈の原文

顕示難行陸路苦
けんじなんぎょうろくろく
信楽易行水道楽
しんぎょういぎょうしいどうらく

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ

【現代語訳】龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる。

正信偈の分かりやすい解説

難行と易行について

「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」という所について明らかにしていきます。

龍樹菩薩はいくつかの著作を残しておられますが、その中に『十住毘婆沙論じゅうじゅうびばしゃろん』があります。その『十住毘婆沙論』の「易行品いぎょうぼん」という章に、「難行道なんぎょうどう」と「易行道いぎょうどう」について述べられています。仏道を歩むのに「困難な道」と「易しい道」の2つの道があるというのです。

「難行道」とは、自分の体力や知恵をたよりにして歩き、けわしい陸路を進もうとする厳しいの修行(聖道門しょうどうもん)をたとえたものです。一方の「易行道」とは、阿弥陀仏の本願という船に喩えられたはたらきに乗せてもらって、浄土往生に導かれるとする念仏の教え(浄土門じょうどもん)です。

ポイント

難行陸路・・・自分の足で歩く、厳しい道(方法)

易行水道・・・船にのり、乗っている間に目的地(悟り)に到着する楽しい道(方法)

龍樹菩薩は難行の陸路は苦しみの道であり、水路を進むことは易行であり、それは楽しくすべての人に可能な道であると私たちに勧めてくださっています。

龍樹菩薩がお勧めをされたという事は、いったいどのような意味があるのでしょうか。菩薩と言われる高い位の方が、「難行」難しい行を目の当たりにして、すべての人々が超えて行けない道だった時に、すべての人が進んで行ける道を探されました。一人で歩むものではなく、すべてのものが救われる道こそお釈迦様がお説きくださった真意であり、それが阿弥陀仏の教えだったのです。

阿弥陀仏の大慈大悲のはたらきによって、すべての者を乗せて、かならず浄土に導き往くことこそ、菩薩という位の高い龍樹菩薩ご自身をはじめすべての者が歩むべき道であるとお勧めになっているのです。

2つの道「難行」と「易行」が紹介されていますが、そのどちらかを選びなさいという教えではありません。自力難行の行き着くその果てにはゴール(悟り)はなく、無力の壁にあたる絶望です。龍樹菩薩は他力易行の道こそが我々の歩む道であるとお示しくださっています。

インド
龍樹菩薩について詳しく説明

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正信偈の出拠

『易行品』仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。

もろもろの難行を行じて、久しくしてすなわち得べし。あるいは声聞・仏地に堕す。

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