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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【道綽決聖道難証 唯明浄土可通入】全文現代語訳

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現代語訳

道綽禅師は、聖道門の教えによってさとるのは難しく、浄土門の教えによってのみさとりに至ることができることを明らかにされた。

この度は、正信偈「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

道綽・・・七高僧の第4番目の道綽禅師(562〜645年)。14歳で出家し涅槃経を学び、禅も修められたので禅師ともいう。

聖道・・・聖(仏果)に至る道の意味で聖道門という。自力で難行を修し、この世で苦しい悩みから解き放たれる悟りを開くことを目指す。

浄土・・・浄土に至る道という意味で、浄土門ともいう。阿弥陀仏の本願力(他力・仏力)によって、浄土に往生して悟りをひらく教え。

通入・・・通じ入る教えということで、仏のさとりに通じ入るという意味。

道難証って「どうなんしょ~」→「どないしよ~」って聞こえちゃう
正信偈の中でも、なんだか耳に残るフレーズだね
ここまできたら、もうちょっとだ!!

正信偈の原文

道綽決聖道難証
どうしゃくけつしょうどうなんしょう
唯明浄土可通入
ゆいみょうじょうどかつうにゅう

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。

【現代語訳】道綽禅師は、聖道門の教えによってさとるのは難しく、浄土門の教えによってのみさとりに至ることができることを明らかにされた。

正信偈の分かりやすい解説

道綽禅師とは

今回から4番目の高僧、中国の道綽禅師の話になります。

道綽禅師(562〜645)は、少年時代に出家されました。しかし574年(道綽禅師12歳の頃)に北周の武帝が厳しい仏教を弾圧し、仏像や経典は焼き払われ、僧侶は殺されたり、還俗させられたりしました。この時、道綽禅師も還俗させられます。

この仏教弾圧は、武帝の死とともに終わり、仏教は復興し(578)、道綽禅師は再び出家されました。そして厳しい修行に励まれました。主に『涅槃経』を深く学ばれ、有名になり名前が知れ渡るようになりました。『涅槃経』にはさまざまな教えが説かれており、その中心は人間の本性を徹底して見きわめることが説かれています。そして、『涅槃経』の中で一番有名な言葉が、すべての人には「仏性」(仏としての性質)が具わっているということです。

涅槃経

【原文】一切衆生悉有仏性

【現代語訳】生きとし生けるものはすべて生まれながらにして、仏となりうる素質をもっている

七高僧のうち中国から出られた3人を曇鸞大師と道綽禅師と善導大師といいます。その中で道綽禅師だけが「禅師」と呼ばれ、他のお二人は「大師」と呼ばれています。当時の仏教界では座禅など修行を特徴とした人を「禅師」と呼んでいました。後に禅宗の僧を「禅師」と呼ぶようになったのとは意味が違います。

道綽禅師は48歳の時、かつて曇鸞大師がおられた玄中寺に立ち寄られます。そこには曇鸞大師の徳を讃えた石碑が建てられていました。道綽禅師は、その碑文を読まれて深く感銘を受けられ、浄土の教えに帰依されました。それは曇鸞大師が亡くなられてから、70年後のことでした。道綽禅師は、曇鸞大師の説かれた浄土の教えに感銘を受け、その玄中寺に住みつかれました。そして84歳で亡くなるまで、「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えられ、『観無量寿経』の講義をしたり、『安楽集』を著したり、念仏(南無阿弥陀仏)を勧められました。

中国
【紹介】善導大師について詳しく説明

道綽禅師について説明します。親鸞聖人が記された「正信偈」の中に登場し、仏教には時代にあった教えに帰依するべきであると末法思想を広められた方です。 道綽決聖どうなんしょ〜って人でしょ? 空耳の名前だけは ...

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末法とは

道綽禅師の幼少のころ、インドから『大集月蔵経』というお経が伝わって来ました。このお経には、「末法」について説かれています。仏教の教えは、お釈迦様が亡くなられた後、時代が経つほど世の中に正しく伝わらなくなり、やがて仏法は衰退する時代が来ると説かれています。

その時期を4つに分けて正法・像法・末法、やがて教えが滅尽してしてしまうと分類されています。

お釈迦様が亡くなられた後、はじめの五百年は「正法」の時代と言われます。この時は、教えが正しく伝わり、その教えによって正しい修行ができ、証が得られると時代です。

次に「像法」となり、それが千年続きます。「像」とは、映像とか銅像とか「像」という漢字を使いますが、意味は「似ている」、「かたどる」というように使います。この時には、その教えによって「似たような」修行はできますが、教えも修行も「似たもの」であって、悟りは得られない時代です。

その後の一万年が「末法」といいます。かろうじて教えはあっても、正しい修行も悟りもない時代です。この末法の時代には、教えはあっても、修行もできず、自分の努力や功績を頼りにして、厳しい修行を重ねても悟りに近づくことは出来ないと『大集月蔵経』には説かれています。

末法思想まとめ

正法・・・教え○、修行○、悟り○
像法・・・教え○、修行○、悟り✗
末法・・・教え○、修行✗、悟り✗
滅尽の時代・・・教え✗、修行✗、悟り✗

道綽禅師の時代には、すでに末法の時代に入っていると受けとめられており、道綽禅師がお生まれになったのは、末法に入って11年目と言われています。道綽禅師自身、厳しい仏教弾圧や還俗させられることを、身をもって経験されることで、まさに末法の世であることを体験し、仏法を学び、末法の時代だからこそ仏教を守らなければならないという思いがあったのでしょう。

このような末法の時、自力によって厳しい修行を重ね、悟りに近づこうとする聖道門の教えは、修行も悟りも誤ったものであるから、悟りへ道として不可能であるというのが道綽禅師の見方です。

末法の時代に生きる凡夫だからこそ、すべての人を浄土に迎えたいと願われた阿弥陀様の目当てなのです。阿弥陀様のはたらきによって私たちに届けられているのが「南無阿弥陀仏」というお念仏です。自力を捨てて阿弥陀仏の本願にお任せする他力の念仏の教え、それが浄土門であり浄土真宗です。

末法の世では、この浄土門の教えしか我々凡夫に悟りを開ける道は残されていないと、道綽禅師は教えられています。そして、その教えを親鸞聖人は大切にして受け継がれました。

正信偈の出拠

『安楽集』第五にまた問ひていはく、一切衆生みな仏性あり。遠劫よりこのかた多仏に値ひたてまつるべし。なにによりてかいまに至るまで、なほみづから生死に輪廻して火宅を出でざる。

『安楽集』答へていはく、大乗の聖教によるに、まことに二種の勝法を得て、もつて生死を排はざるによる。ここをもつて火宅を出でず。何者をか二となす。一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。その聖道の一種は、今の時証しがたし。一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。二には理は深く解は微なるによる。このゆゑに『大集月蔵経』(意)にのたまはく、「わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらず」と。当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。

『安楽集』当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。

『安楽集』もし起悪造罪を論ぜば、なんぞ暴風駛雨に異ならんや。

『安楽集』このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ」と

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