現代語訳
本願成就の名号は、すべての人々が間違いなく往生するための行であり、至心信楽の願(第18願)に誓われている信を往生の正因とする。
この度は、正信偈「本願名号正定業 至心信楽願為因」について意味を分かりやすく解説します。
語句説明
本願・・・すべての人々を救うための正しく根本となる願いのことで、阿弥陀仏の48願の中でも特に18願を本願とする。
名号・・・浄土教では、特に阿弥陀仏の名を指していう。南無阿弥陀仏のこと。
正定業・・・正しく人々の浄土往生が決定する業因(行い)。本願の行である称名念仏のこと。
至心信楽の願・・・第18願のこと。現代語訳は「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて(至心)、わたしの国に生れたいと願い(信楽)、わずか十回でも念仏して、もし浄土に生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」
正信偈の原文
本願名号正定業
ほんがんみょうごうしょうじょうごう
至心信楽願為因
ししんしんぎょうがんにいん
正信偈の書き下し文と現代語訳
【書き下し文】本願の名号は正定の業なり、至心信楽の願(第十八願)を因とす
【現代語訳】本願成就の名号は、すべての人々が間違いなく往生するための行であり、至心信楽の願(第18願)に誓われている信を往生の正因とする。
正信偈の分かりやすい解説
構成について
正信偈は、大きく分けて3段落構成で作られています。
①帰敬序
②依経段
③依釈段
その②依経段の中でも「弥陀章と釈迦章」2つに分ける事ができて、この度の
「本願名号正定業 至心信楽願為因」
とは、この弥陀章のまとめとなります。この結びには何が書かれてあるのでしょうか。
正信偈の分かりやすい3段落構成
お経の途中から音程が変わるけど、意味があるの? 3つの段落から構成されているけれど、音程が変わるところは段落の節目じゃないんだ まぎらわしいところで音程が変わるんだね 正信偈は3つの段落で構成されてい ...
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本願の名号
「本願の名号」とは「南無阿弥陀仏」のことです。法蔵菩薩はすべての苦しみ悩む人を救いたいと心から願われました。これを本願といいます。
すべての人を救うことができないならば、自分は仏には成らないと誓われました。そして法蔵菩薩はこの本願を成就し、「南無阿弥陀仏」という形で私達に届けられています。それは念仏であり、声であり、耳に聞こえる形となり、時に木像の仏様となり、掛け軸の絵の仏様となりました。つまり「南無阿弥陀仏」という様々な形(名号)を私たちに届けることによって、苦しみ悩む私たちを救済し、間違いなく浄土へ往生できるというのです。その方法を阿弥陀様が私達のためにご準備してくださいました。
阿弥陀仏の本願は、私が生まれてくるよりもずっと前から私のために誓われた願いなのです。そしてその本願は、苦しみ悩む私たちを目当てとしてはたらき続けています。そのことに気づいていない私たちに「南無阿弥陀仏」という形(名号)で、私たちに届けられています。
「願い」とは本来、形では見えないものです。しかし形ない本願が、「南無阿弥陀仏」という様々な形や姿となり、私の上では称えられる念仏として、聞こえる声の仏となり私たちに差し向けられています。
ポイント
「本願の名号」とは「南無阿弥陀仏」である。そして南無阿弥陀仏に込められた阿弥陀様のお心が私に届いて信心となる
正定の業とは
次に「正定の業」とは、「まさしく(正)私たちの往生を決定(定)させるはたらき(業)」ということです。
本願の名号=正定の業
①本願の名号とは、阿弥陀様が私のためにご準備された事=仏の立場
②正定の業とは、私が往生間違いないという事=私の立場
至心信楽の願
その因(原因)とは、正信偈の中で「至心信楽願為因」ですよと親鸞聖人がお示しくださっています。法蔵菩薩の48の願のうち「至心信楽の願」という第18願が、私たちの往生の原因となっています。
第18願とは、
現代語訳
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて(至心)、わたしの国に生れたいと願い(信楽)、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
このように法蔵菩薩は誓われたのが第18の誓願です。
(結果→)本願の名号つまり「南無阿弥陀仏」によって、私たちが往生することがまさしく確定しているのは、(原因→)法蔵菩薩の第18の願いが成就して、阿弥陀仏に成られたからです。
私達は凡夫と言われるように、自らの力では「悟り」を開くことができません。それはお釈迦様以来「悟り」を開いたものがいないことから明白です。この世の苦悩を取り除くことが出来ない私達、そのような私たちのために「南無阿弥陀仏」が届けられているのです。
正信偈の出拠【参考文】
『銘文』「本願名号正定業」といふは、選択本願の行といふなり。「至心信楽願為因」といふは、弥陀如来回向の真実信心なり、この信心を阿耨菩提の因とすべしとなり。
『散善義』一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に時節の久近を問はず、念々に捨てざるものは、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに。
『選択集』正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに
『浄土文類聚鈔』しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。
『正像末和讃』南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて
往相回向の利益には 還相回向に回入せり
『教行信証』「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。
『教行信証』至心信楽の願 [正定聚の機]
『教行信証』「至心」は、すなはちこれ真実誠種の心なるがゆゑ
『教行信証』まことに知んぬ、この心すなはちこれ不可思議不可称不可説一乗大智願海、回向利益他の真実心なり。これを至心と名づく。
『教行信証』まことに知んぬ、疑蓋間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく。信楽すなはちこれ一心なり、一心すなはちこれ真実信心なり。このゆゑに論主(天親)、建めに「一心」といへるなり
『教行信証』信楽といふは、すなはちこれ如来の満足大悲円融無礙の信心海なり。このゆゑに疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく。
『銘文』この信心を阿耨菩提の因とすべしとなり
『教行信証』弥陀如来、三心を発したもうといへども、涅槃の真因はただ信心をもってす。
『教行信証』一念といふは信心二心なきがゆえに一念という。これを一心と名づく。一心すなわち清浄報土の真因なり。
『教行信証』この心はすなわち如来の大悲心なるがゆえに、かならず報土の正定の因となる。
『正像末和讃』不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまえり
信心の正因うるひとは かたきがなかになおかたし
『教行信証』それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆゑに、果また浄なり