正信偈の意味【広由本願力回向 為度群生彰一心】全文現代語訳

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現代語訳

本願力の廻向によってすべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた。

この度は、正信偈「広由本願力回向 為度群生彰一心」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

本願力・・・阿弥陀仏の第18願のはたらき

回向・・・如来が功徳を私たちにめぐらして施して救いのはたらきを差し向けること

・・・救済すること、生死の海を渡す

群生・・・人々のこと、親鸞聖人の注釈に「むらがる」と書かれてある。また煩悩が果てもなく深いのを海に譬えて「群生海」ともいう。

一心・・・深く信じて疑わず、二心(ふたごころ)がないこと。自分の雑念がまじらない、純一のこころ。如来回向の信心。

他力本願って、いつも野球とかペナントレースの最後によく聞く言葉だね
テレビの人の使い方が間違っていて、他力とは仏力のことで別のチームや人のことじゃないんだ
確かに仏さまが野球の試合を左右してたら、勝負がおかしくなっちゃうよね

正信偈の原文

広由本願力回向
こうゆほんがんりきえこう
為度群生彰一心
いどぐんじょうしょういっしん

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す

【現代語訳】本願力の廻向によってすべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた。

正信偈の分かりやすい解説

回向とは

私たちは阿弥陀様のことを見ることも触れることも出来ません。しかし、阿弥陀様のはたらきは「回向」という形によって私たちに届いています。天親菩薩は、その「回向」されている阿弥陀様のはたらきに身を任せ、阿弥陀様の願いの通り、全ての人を救済することを誓われました。その誓いが成就し、その届けられた形の証拠として、信心(一心)が大切であることを明らかにされました。

阿弥陀様が仏に成られる前、法蔵という名の菩薩であられたとき、苦しみ悩むすべての人を救いたいという願いを起されました。私たちは煩悩に振り回され、清らかな心を持つことが出来ないにもかかわらず、そのことにすら気づいていません。そんな私たちを救おうとされる願い、それが阿弥陀様の「本願」です。

「回向」とは、「回し向ける」ということです。何を回し向けるのかと言えば、阿弥陀様が自らの功徳を回し、私たち苦しみ悩む凡夫にその功徳を向けるということです。この「回向」の教えの根底には、「自業自得」という考えがあります。またを「一因一果」とも言います。自らの行い(自業)が原因となって、自らが結果を受け取る(自得)という教えです。

「自業自得」という言葉は、あまり良い意味では使われませんが、仕事が成功するのも失敗するのも「自業自得」なのです。病気になるのも治るのも「自業自得」で、すべての事象には原因があって、それが結果に結びつくのです。その最たるものが、生まれたという原因が、最後には命を終えていく結果となります。

供養について

仏教では供養と言いますが、あれが回向の形です。故人のために「故人に変わって」お経や仏事を勤めることで功徳を積み、その功徳を故人に回し向けることを供養といいます。

しかし浄土真宗の教えでは、意味がまったく違います。 私たち凡夫にとって、自分の力で浄土に往生する原因(功徳)を作れません。原因を作れなければ、往生という結果は起こらないわけです。念仏(信心)が往生の正因であっても、自力のはからい心で念仏しても、それは浄土に往生する原因にはなりません。ですので、どれほど真剣に念仏しても、我執(はからい)がつきまとう限りは、それは念仏とは申せません。

そんな私たち凡夫が我執やはからい心を離れる事は無理だと見抜いてくださっている阿弥陀様です。阿弥陀様のはたらき(他力の念仏)は、原因を作れない私に代わって、私の往生の原因を阿弥陀仏が作ってくださり、その結果だけを私に振り向けてくださっているのです。それが本願によって「回向」されている他力の念仏です。私に出来ることは、ただ「南無阿弥陀仏」とありがとうという気持ちで「感謝をこめて」お念仏申すだけで良いのです。

インド
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一心について

この「一心」とは、「信心」のことです。天親菩薩は「本願」によって「回向」されている「信心」の意味を私どもに分かりやすく注釈されたのが『浄土論』には記されています。

『歎異抄』には、親鸞聖人が述べられた言葉に「如来よりたまわりたる信心」と記されていますが、それはこの天親菩薩の「広由本願力回向 為度群生彰一心」(広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために、一心を彰す)という言葉が根拠となっています。

天親菩薩が、阿弥陀仏から私たち凡夫に対して回向されている願い(本願)にもとづいて、群生を本願に目覚めさせるために、一心(信心)の意味を明らかにしてくださったのだと、親鸞聖人は教えておられます。 ここに言われている「群生」とは、「衆生」のことで「あらゆる生きもの」という意味です。すべての人々であり、凡夫であり、私のことです。

「度する」とは、「渡らせる」ということです。苦悩に満ちた苦しみの世界から、苦悩が解消した清らかな世界へと渡らせるのです。迷いの此岸から、覚りの彼岸へ渡らせることから、春秋には彼岸会という行事を行います。

『浄土論』の冒頭に、天親菩薩は「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」(世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず)と始まります。「世尊よ、私は心を一つにして、阿弥陀仏に帰命して、極楽浄土に生まれたいと願っております」という切なる心の内を表明されました。 天親菩薩は、苦しみ悩む我々を救いに導くために、「信心」が最も重要であることを明らかにされ、その「信心」を「一心」という言葉に変えて、著書の『浄土論』の中で説明されました。

この「一心」とは、どのようなものでしょうか。親鸞聖人は『尊号真像銘文』に

尊号真像銘文

一心というは、教主世尊の御ことのりをふたごころなくうたがいなしとなり。すなわちこれまことの信心なり

と説明しておられます。「一心」とは、お釈迦様の言葉に対して、二心なく、疑いなく、聞いていくことが「信心である」と説明されています。

「一心」は「信心」のことであり、言い換えれば「真実信心」です。その「信心」は凡夫が自ら起こす信心ではありません。凡夫が信じようとする信心ではありません。親鸞聖人は「如来よりたまわりたる信心」と教えてくださいました。如来の願いとして回向されている信心ですから、誰にとっても平等に及ぼされている信心です。だから信心のことを「御信心」というのは、私のものではなく、阿弥陀様よりいただきものだからです。

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