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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【如来所以興出世 唯説弥陀本願海】全文現代語訳

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現代語訳

如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海いちじょうかいの教えを説くためだった。

この度は、正信偈「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

如来・・・浄土真宗で「如来」とは、阿弥陀如来を意味しますが、ここでは釈迦如来のことではある。「正信偈」には8ヶ所「如来」という言葉が出てくるが、3ヶ所は釈迦如来のことである。

弥陀本願海ほんがんかい・・・阿弥陀仏の本願の深く広いことを海に譬えたもの。

如来ってあるけど、一見お釈迦様か阿弥陀様か分からないよ
著者の親鸞聖人も何度も書き換えて、ベストな表現をするのに何度も訂正されているよ
消しゴムがない時代だから、書き直しだと大変だね

正信偈の原文

如来所以興出世
にょらいしょいこうしゅっせ
唯説弥陀本願海
ゆいせつみだほんがんかい

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】如来、世に興出こうしゅつしたまうゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり

【現代語訳】如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためだった。

正信偈の分かりやすい解説

出世本懐(お釈迦様の生まれた目的)

ここから正信偈の第2段落の第2章「釈迦章しゃかしょう」に入ります.

まず、「如来所以興出世」(如来、世に興出こうしゅつしたもうゆえは)とあります。「如来」とは、釈迦如来すなわちお釈迦様のことをです。「世に興出したまうゆえ」とは、「この世にお出ましになられた理由」ということです。

つまりお釈迦様は、「なんの目的のために」、「この世に生まれてこられたのか」ということです。

それについて、次の句に「唯説弥陀本願海」(ただ弥陀本願海ほんがんかいを説かんとなり)と記されています。お釈迦様がこの世にお生まれになって、仏に成られたのは、「ただ阿弥陀仏の本願のことを説き広めようとされたためであった」ということです。

海という言葉

「本願」という言葉に「海」という字を付けられています。それは、すべての人を浄土に救いたいとされる阿弥陀仏の願いが、海のように広く、どのような水(河の水、濁った水、雨など何で)も受け入れることから海と表現されています。

親鸞聖人は「一乗海いちじょうかい」や「功徳大宝海だいほうかい」のように、よく「海」という字をつけ加えられています。

また「五濁ごじょく悪時あくじ群生海ぐんじょうかい」や「一切苦悩の衆生海しゅじょうかい」というように、悩み苦しむわれわれ衆生ついても「海」という字をつけ加えています。やはりどのような水も受け入れること阿弥陀仏のお心を海と表現されています。

海一味
正信偈に見られる海一味の表現

現代語訳 凡夫も聖者も、五逆のものも謗法ほうぼうのものも、みな本願海ほんがんかいに入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように等しく救われる。 この度は、正信偈「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」 ...

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大宝海
正信偈に見られる大宝海の意味

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出世本懐の論拠

お釈迦様がこの世にお出ましになられた目的は何であったのか。釈尊は、たまたまこの世間にお生まれになり、たまたま仏になられて、たまたま人びとに教えを説かれた、ということではないのです。偶然ではないという事です。必然だとお示しくださっています。お釈迦様がこの世にお出ましになられたのは、ただ阿弥陀仏の本願を説くために生まれ、悟られ、仏教をお説きになったのです。

『仏説無量寿経』には、

仏説無量寿経

如来、無蓋むがい大悲だいひをもって三界さんがい矜哀こうあいしたまう。世に出興しゅっこうしたまう所以ゆえんは、道教どうきょう光闡こうせんして、群萌ぐんもうすくい恵むに真実のをもってせんとおぼしてなり

現代語訳

如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益りやくを恵みたいとお考えになるからである

と説かれています。お釈迦様がこの世界にお出ましになられたのは、阿弥陀仏の本願(すべての者を救済すること)を説くためであった。この「真実の利益りやく」によって苦しみ悩むものを救済するために、お釈迦様や諸仏はこの迷いの世界にお出ましになられたと示されています。

このようにお釈迦様が世に出られた理由を説いているので、「出世しゅっせ本懐ほんがいもん」といわれます。たくさんのお経が説かれていますが、お釈迦様が一番説きたかった、伝えたかった本当のお気持ちを表わしてあるということです。

法華経ほっけきょう』にも「出世本懐しゅっせほんがいの文」が登場しますが、『法華経』の成り立ち・内容を調べ、お釈迦様がいつ、どこで教えを説かれていたのかを紐解いていくと面白い事が分かります。法華経を一時中断し、『仏説観無量寿経』を説かれています。このお経には、無量寿=阿弥陀仏について説かれています。法華経には、仏になる手立て・方法までは明らかにされず、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』には仏になる手立てと方法がお釈迦様によって明らかにされています。

浄土真宗では、『仏説ぶっせつ無量寿むりょうじゅきょう』『仏説観無量寿かんむりょうじゅ経』『仏説阿弥陀あみだ経』の3つのお経を大切にしています。これらを浄土三部経さんぶきょうといいます。これらは阿弥陀仏について説かれたお経です。仏説=お釈迦様が説かれた、阿弥陀仏(無量寿仏)について説かれたお経です。2500年前にお説きくださったお話ですが、みごとにまとめられた経典です。

浄土三部経

『仏説無量寿経』=阿弥陀仏の由来と釈迦の出世本懐
『仏説観無量寿経』=阿弥陀仏の救いと方法
『仏説阿弥陀経』=阿弥陀仏の浄土の様子と諸仏が阿弥陀仏を讃歎している

正信偈の出拠【参考文】

『大経』世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。

『一多文意』この文のこころは、「如来」と申すは諸仏を申すなり。「所以」はゆゑといふことばなり。「興出於世」といふは、仏の世に出でたまふと申すなり。「欲」はおぼしめすと申すなり。「拯」はすくふといふ。「群萌」はよろづの衆生といふ。「恵」はめぐむと申す。「真実之利」と申すは弥陀の誓願を申すなり。しかれば、諸仏の世々に出でたまふゆゑは、弥陀の願力を説きて、よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、本懐とせんとしたまふがゆゑに、真実之利とは申すなり。しかれば、これを諸仏出世の直説と申すなり。

『浄土和讃』久遠実成阿弥陀仏  五濁の凡愚をあはれみて
釈迦牟尼仏としめしてぞ  迦耶城には応現する

『銘文』「如来所以興出世」といふは、諸仏の世に出でたまふゆゑはと申すみのりなり。「唯説弥陀本願海」と申すは、諸仏の世に出でたまふ本懐は、ひとへに弥陀の願海一乗のみのりを説かんとなり。しかれば、『大経』(上)には、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」と説きたまへり。

『銘文』仏の世に出でたまふゆゑは、弥陀の御ちかひを説きてよろづの衆生をたすけすくはんとおぼしめすとしるべし。

『一念多念文意』「真実之利」と申すは弥陀の誓願を申すなり。

『大経』如来無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。

『教行信証』「海」といふは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水となる。これを海のごときに喩ふるなり。

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